うつむいて見る虹もある。

私は緑に囲まれた渓谷や水源が大好きです。
澄んだ空気と美しい光景にとても癒やされます。
 
 
その日、天気が良かったので、菊池渓谷(きくちけいこく)へ出掛けました。
大好きな場所です。
渓谷を、寄り道含めて2周、二時間半ほど歩き、
「歩いた歩いた気持ちよかったぁ、さぁ帰ろう。」
と出入り口のゲートを出て、横断歩道を渡りました。
 
 
すると、その先に立っていた年配の男性スタッフが、
「ちょっとちょっと、橋から下を見てごらん。虹がかかってる。」
と声を掛けてくださいました。
どれどれ、と橋の上に行き下をのぞき込みます。
 
 
「おー!!」
くっきりと虹が見えます。
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これがその時に撮った写真です。
二重になっています。
川のしぶきに日光があたり、キラキラと輝いていました。
明るく美しい光の芸術は、永遠ではないので尚更に感慨深いものでした。
 
 
スタッフの男性が他の方にも声を掛けていましたので、私はその場から離れました。
是非とも多くの人に見て貰いたい。
スタッフ男性の気持ちが私にも移り、すれ違う方に、
「あの橋から今なら虹が見えますよ!」
と声を掛けると、嬉しそうに向かわれます。
虹は心を明るくしますね。
 
 
このように、うつむいていても虹が見えることが日常でもあります。
じょうろやホースで水を撒いているとき、皆さんも経験があるでしょう。
 
 
人生においても、同じではないでしょうか。
人は上を向いて歩くことを称賛します。
けれども、それが苦しい時もあります。
顔をあげることがしんどい時もあります。
 
 
少し私の話です、何卒おつきあいを^^
心を病んでしまい、その病から何もかもが暗く、未来などないような気がしました。
うつむきっぱなしの毎日です。
もう上を見上げるなんて考えすらありません。
こんなマイナス思考だけの自分は周りにも迷惑でしかない、申し訳ない。
 
 
そんな中で、「いいよ、そのままでいい。今だって大好きたい。」と背中をさすってくれる手がありました。
心配して会いに来てくれた友人でした。
言葉に驚き顔を上げると、優しい微笑みがありました。
ポロポロと涙が出ました。
ぽたぽたとこぼれる涙は温かく感じました。
その時の私の心には虹がかかっていました。
 
 
虹がかかる時、必ず光が差しています。
その光に、あなたもなれます。
 
 
さぁ、上を見ようよ!顔を上げて進もうよ!
そんな風に励まさずとも、光を届け虹をかけることが出来ます。
 
 
そして、今現在、顔を上げてることが困難な方へ。
無理に姿勢を変えずとも大丈夫。
その時が来れば自然と前を向き、そのうち上を見ることも出来ます。
うつむいた自分を責めないでください。
そんな時もあります、懸命に生きてるのだから。
ダメな人間ではない、そんな時期なだけです。
うつむいていたって虹が見える時もある。
悪いことばかりじゃない。
うつむいている今も無駄じゃない。
自分を嫌わないで欲しいです。
そんなあなたを大地は受け止めます。
空は分け隔てなく包みます。
許してくれる大きな存在があります。
大丈夫。
 
 
いつかいつか、その胸に光が差し、きれいな虹がかかりますように。
 

書を捨てよ、バカになろう!

テキスト、本、ノート、PC。
ここしばらく、親友となり私にくっついていたのは「勉学」。
途中、新しく届いた本は7冊。
読みかけの本は5冊。
どうするの?と、家族の視線。
…そりゃ、読みますとも…もちろん。
たぶんね。
 
 
カウンセラーになりたい私のチャレンジ。
大人になってこうも勉強をすることになろうとは。
自分で踏み出した道とはいえ、途方に暮れています。
 
 
そんな日々の中、私の誕生日がやってきました。
もう、祝わなくても悲しくも寂しくもない年です(笑)
 
 
その日、いつものごとく過ごしていると、長女が、
「おーい、千円ずつ出して。」
と弟二人に声を掛けています。
「なんでー、なんで千円出さなんとー?」
と不満気な真ん中の息子。
娘はチラッとこちらを見て、もごもごと「…誕生日やから…。」
ははぁ、私に千円ずつ、計3千円をくれる気やな。
有難いやら、申し訳ないような。
 
 
「あー。でも何で○○(娘の名前)に渡さなんとー?」
弟は、指図されることに納得がいかぬ風。
いいよ、いいよ、気持ちだけで、そう言いかけてやめました。
娘の表情が、『この集金をきちんとしないと、日本の夜明けはない!』というくらい真剣だったのです。
 
 
なぁ、可愛い娘の気持ちをよぉ、無駄にしちゃいけねぇんじゃねーの?…そう、私の中の江戸っ子が囁きます。先祖代々の肥後っ子ですが。
 
 
大きな声で私は息子二人に言いました。
「あー、産まれてこれて嬉しいな。千円くれ!」
江戸っ子ではないので、粋なセリフが出ることはなく、親らしからぬ言葉が飛び出す始末。
 
 
息子二人は、そんな情けない母親を笑いながら、千円を取りに行きました。
内心、娘の必死な役割を取り上げガッカリさせたかな、と反省。
チラリと娘を盗み見しました。
しかし、娘は弟の後姿を見ながら微笑んでいます。
 
 
優しい子だなぁ、と思いました。
自分が言っても出してくれなかった悔しさよりも、母親に贈与できることに喜びを感じ、柔らかい笑みを浮かべている。
誰に似たのだろう、私だろう。そう思わせてくれ神様、誕生日や。
 
 
それぞれが千円をくれました。
こんなに愛しく感じた千円札は初めてでした。
野口英世の表情が温かいことも知りました。
 
 
三千円を手に情けなく緩んだ顔の私に、娘がくれた言葉は、
「勉強とか子供たちのために使わず、自分の好きな事に使って。」
でした。娘の言葉は、とびっきり粋でした。
 
 
こんなに言葉とは熱いのか、そう思いました。
ふっと耳から入り、胸のあたりで熱を増します。
娘を見つめながら緩んだ表情のまま、「わぁ~」という気の抜けるような言葉。
私はすっかり感動し、あほ丸出しです。
 
 
自分の好きなものを買う。
「よし!それなら、ビールとお刺身買って来よう!!」
あほ丸出しのまま言うと、子供たちは満足そうに笑っています。
それでこそ、私たちのお母さんだ、と言わんばかりに。
どういうことだ、そういうことか。
 
 
三千円を握りしめスーパーに向かい、この中で私ほど幸せな気分で立っている人はいないだろう、と得意げにレジに並び〝私のための〟ビールとお刺身を買いました。駄菓子のブラックサンダー3つは、子供達へのほんのお返し。
 
 
さぁ、いよいよ、久しぶりの晩酌です。
働いていたころは毎晩350mlを一本。
今、その習慣はなくなっています。
子供たちはニヤニヤしながら見ています。
 
 
正直、この時点で胸はいっぱい、なにやら酔ったような気分。
でも、キミたちに見守られながら飲む『特別なビール』は格別な味だろう。
 
 
プルタブに指を掛け、力を入れて引くと、「シュパッ!」といい音がします。
 
 
「有難う。またひとつ大人になったよ。」
主役の挨拶を軽くし、缶ビールとブラックサンダーで乾杯。
ゴクゴクとやりました。
のどにくる刺激、食道を通る冷たさ、ほろ苦い後味、胸に迫る感激。
 
 
6つの可愛い目玉が見つめています。
せっかくの祝いだ、泣くもんか。
 
 
「あ~、うまいね、子供の金で飲むビールはうまい!!」
見守る子供たちはゲラゲラ笑い、バカだ、バカだ、バカなお母さんだ!と囃し立てました。
その笑顔が最高で、私も一緒にゲラゲラ笑いました。
 
 
根を詰め過ぎていたな。時には息を抜こう。
そう立ち止まれたひと時でした。
たまには書を捨てバカになることも必要じゃないのか。
私には大切な気づきとなりました。
週に一度くらい、こんな日があってもいいのではないか。
 
 
ん?子供たちの声が聞こえます。
「たまには、じゃなくていつもバカたい!」
なるほど、教育の本を追加して取り寄せようと思います。
 
 
では、また。
なんせ、今日は週に一度のバカになる日と決めていますから^^
 
 
皆さま、お疲れさまでした。
乾杯!!

うつ病について。~ひなたぼっこをしながら~

うつ病』この病名を知らぬ人は少なくなってきました。
2017年WHOによる発表では、世界でうつ病に悩む人が3億人を超えると報告されています。
日本人の発症率は100人中3~7人といわれています。
 
 
うつ病」という病気は、その原因が解明されていません。
しかし、ストレス対処ホルモン(グルココルチコイド)が長期的に過剰放出されると、神経細胞が傷害されることが判明しており、うつ病に大きく関わっているのではと考えられています。
 
 
私自身、うつ病を患いました。
その原因は、発症の6年ほど前から始まっています。(ドラマティック過ぎる衝撃的な内容ですので、詳しくは控えます^^)
直接的な引き金は、2か月間の長時間勤務と無休による過労でした。
環境に不満を抱えた中で、疲労を溜めていったことが要因だと思います。
 
 
私が知人に「うつ病だった時…。」などと話すと、大抵驚かれます。「もぅ、またぁ、嘘ついてから~!」と肩をバシバシ叩かれたこともあります(笑)
性格診断をしても呆れるほどポジティブ思考です。
つまり、ネガティブだから「うつ病」になるわけではなく、「うつ病」の中にいるからネガティブ思考になってしまう人も多いのです。
抜けることが出来ればポジティブも戻ります。
うつ病を恥ずかしいと思う人の中には、「うつ病になるやつは、暗くて弱い奴」といった考えもあるのではないでしょうか?
それは違います。断言します。
 
 
うつ病になりやすい生き方は、
・真面目に取り組む
・他者の為に自己犠牲を惜しまない
・責任感が強い
こんな感じです。
強く正しく頑張る「べき」という傾向にあります。
なので、生き辛いと思っても逃げ出せません。
 
 
うつ病は非常につらく苦しい病です。
何枚も鉛の服を着せられ、頭にも重いヘルメットを被せられてしまいます。足には頑丈な足かせがはめられ、心の中は真っ暗です。
そんなのは思い込みだよ、と判断してはいけません。
脳の機能が著しく低下しており、そのような状態になるのです。
抗うつ薬セロトニンドーパミン機能を高めるお薬です。
吐き気などの副作用もありますが、必要なお薬です。
 
 
脳を休ませることが非常に大切ですが、不信感、絶望感、失望感、恐怖感から、一日中、脳は思考を止められずにいます。
のんきになんてしていられない状況に置かれてしまっているからです。
なぜ、きちんと生活できないのか、仕事が出来ないのか、育児が出来ないのか、怠けているんではないか、自分はどうしようもなくダメなのではないか。
回復のためには、その辺りの意識を緩やかに剝がしていかねばなりません。
焦りは禁物。回復に時間がかかる自分は弱いのだ…と自責の念が強まります。
本当に厄介な病気なのです^^
 
 
楽しみを見つけることも難しい。幸せホルモンが分泌していませんから。
何らかの効果によりホルモンが分泌されてくれば、少しずつ楽しめるようになります。
 
 
うつ病」という言葉は広まりましたが、その実態はあまり知られていないように思います。
私が酷い症状の時、幼い3人の子供たちを見つめながら「この子らは山猿と同じだ、私が居なくても育つ。死んでもいいな。」そう考えてしまいました。
怖くて悪質な病気です。
 
 
私は何億円積まれようが、もう2度とうつ病は嫌です。
再発しやすい病気であると言われていますが、冗談じゃない、逃げてでも生き抜きます。
人生は楽しいこともいっぱい!!
 
 
私は願います。
誰にも、こんな苦しい病気になって欲しくない。
私は苦しい時期が3年半でした。
たかだか3年半、と言われたこともあります。
もっと長期で病と闘っている人も大勢いるのです。
 
 
鬱っぽいな、と感じられたら起きた後に日光を20分以上浴びてください。
休養が出来るなら、休んでください。
少しでも「楽しい」を感じてください。
体を伸ばし、深呼吸をする時間をとってください。
手抜きしても良い、と自分に優しくしてください。
真面目もいいけど、たまには不真面目になる冒険をしてください。
 
人に優しくするように、自分にも優しくしてください。
 
 
 
良く晴れた日です。
心にも柔らかな日差しを。
 

はじめまして!はじめました!

ここ1か月ほど、ずーっと放置していたはてなブログ開設。

年が明けたら手を付けようと、そのままだったこの場所。

やがて雑草生えるのではと危惧されたこの空き地。

 

いよいよスタートさせます!!

 

やっとここまでたどり着きました。

有難うございます!!(書き始めた自分)

よろしくお願い致します!!(きっと応援し続けてくださるあなた)

 

 

ブログの1ページ目はやはり自己紹介でしょう。

 

 

やらせて頂きます。

ちょっとドキドキします。

いいですね、この緊張感。

 

緊張感などと打ちながら、顔はすっとぼけているでしょう。

今、画面が暗くなったら、見たくないものが映し出されとるのやろうな。

歳を感じさせるたるみ。(どこかのCMで聞いたフレーズや 笑)

ひとりの空間であるが故のぬすけた表情。

これらが真っ黒な画面にパッと浮かぶんやな。怖い。

 

ん?ぬすけた…って方言かな?

ちょっと調べます。

 

方言だった(笑)

ぬすけた表情=ぼーっとした表情 です。

私の出身地がどこか調べるという楽しみが増えましたね!

 

無駄に行数使ってますが、ブログの楽しみは、このような流れにもあります。

通り一遍の、そこいらに転がるありふれた学び知識ブログでは退屈でしょう。

 

などと、初心者同然の私が何を抜かしてるんだろうってね!

緊張による失言、神様も多めに見てくれるでしょう。

嬉しいです、神様。

 

 

さて、サクッといきます。

1975生まれ(2021年現在、45歳)

小さな旅館の若女将を務めていました。

もう女将が引退するよ、あなた女将になってね、というところで夫婦喧嘩。

以前からの諍(いさか)いもあり、何かがプチっと切れて適応障害に。

もう嫌や、別居や、離婚や、と考えていたら、退職の道が照らされた。

退職なんて許されん、私にはそう思わせる過去がありました。

(この話はいずれ別のページで)

 

良かった。子供3人と一緒におれる。

そやけど安心は出来ない。

自分の食費・雑費は自分で稼がなければならない。

旅館の敷地内で生活しているので、この辺はややこしい。

(こちらもいずれご説明します。)

ケチな夫は生活費をくれる素振りなどナッシングです。

さて、働きに出ようと思うが、車は社用車だからとNG出され。

娘は「恥ずかしいから近くで働かないで。」と懇願してくる。

 

はて、困った。

在宅ワークかぁ。いや、待てよ?ちょ、待てよ?

 

 

これはチャンスや。

一生旅館で働かなくてはならない、そう思ってたけど。

自由な時間が出来た。

夢を追いかけてもいいんじゃないか?

 

持ち金は、子供のアレやコレや、自分のアレやコレやに使い、銀行にちょっぴり。

それでも、この時を逃したくない!そう思いました。

 

私は過去にうつ病を患った経緯があります。

 

「ははぁ、なるほど、うつ病になるほど弱いから適応障害にもなるのね。」

そう思ったあなた、すかーん。

そういう考え方は好かん。

そこにある環境は弱かったら逃げ出すレベルかも知れんでしょ?

強いから踏ん張って、心痛めるってこともあるのよ。

頼むから今後、心の病をもつ人の話を聞くときは注意して頂きたい。

あなたの偏見が病からの脱出を遠ざける。マジ。

 

話を戻しましょう。

うつ病」の苦しみも闇も、本当につらかった。

職場復帰できるようになった時に感じたのは、普通に生活することがどれほど楽か。

なんやこの軽さは、と心底、驚いた。

 

「絶対、年取ったら旅館の片隅で悩み相談する!」

と決めたくらい、誰ひとりとして、あんな闇に飲み込まれて欲しくない。

少しでも力になりたい。

「闇に行ってはいけない。」そう叫びたい。

 

退職した今、チャンスや。

私は心理カウンセラーになる!!

こう決めたのでした。

 

さて、心理学の勉強もしたことがない。

大学ではなく、デザイン系の専門学校が最終学歴な私。

どう夢に向かって進むのでしょう。

私も聞きたい。どうすんのよ。

 

それでも折角なので、自分のやりたいことにチャレンジしたい。

この経緯をここにアップしていこうと思います。

現在だけでなく、過去に飛ぶこともありますが、

何卒よろしくお願い申し上げます!!

 

 

※これはサクセスストーリーではありません。

45歳という人生半ばから夢を追い始めた、ひとりの人間の話です。